聖書 ローマの信徒への手紙1.1-32
「わたしは、御子の福音を宣べ伝えながら心から神に仕えています。その神が証ししてくださることですが、わたしは、祈るときにはいつもあなたがたのことを思い起こし、何とかしていつかは神の御心によってあなたがたのところへ行ける機会があるように、願っています。」(9、10節)
今日から朝祷会で読む聖書のテキストがローマの信徒への手紙になった。この手紙を書いたパウロは、もう長い間ローマに行きたいと望み、何度もチャレンジしてみてはいるものの、その度に何かによって妨げられてきたという経緯をこの手紙の中で打ち明ける。それは、パウロが、まだ一度も行ったことがないにもかかわらず、いかにこのローマの教会の人々のことを、いつも心にかけて祈り、大切に思っていたかを伝えている。
そのように親しみを覚え、いつか必ず訪れたいと切に思っていたこのローマの教会の人々に、自分の思いの丈をつづったのがこの手紙なのである。
しかし、ここに書かれているのは、パウロの心情や思いだけではなく、いや、それらを遥かに上回って、何よりもまず「神の福音」(1節)なのである。これが、そのままパウロという人の自己紹介状にもなっているのである。
今、私たちに伝えられているキリスト教会の信仰というのは、このローマの信徒への手紙の言葉が下敷きとなっているものが多い。例えば、私たちが救われるのは、自分のよい行いによってではなく、ただ信仰によってである、と教えられ、それを信じているが、それは、「ところが今や、律法とは関係なく、しかも律法と預言者によって立証されて、神の義が示されました。すなわち、イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義です。そこには何の差別もありません」(ローマ3.21-22)という御言葉に根拠があるのである。
このように、信仰の基本、福音の真髄を余すところなく伝えているこの手紙をこれから朝祷会において少しずつ読むことのできる幸いを、共に味わっていきたいと願う。
祈りに覚える人 S・H姉
祈りに覚える教会 犬飼教会(大分県豊後大野市 本竜晋牧師(代))
玖珠教会(大分県玖珠郡玖珠町 宮崎富男牧師)
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