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執筆者の写真牧師

今日の朝祷会(2020年5月16日(土))

聖書 ローマの信徒への手紙3.21-31

「では、人の誇りはどこにあるのか。それは取り除かれました。どんな法則によってか。行いの法則によるのか。そうではない。信仰の法則によってです。」(27節)

 自分を誇り、虚栄心の固まりになり、偽善に生きていた私たちに、新しく「信仰の法則」がもたらされた。それまでは、「律法の法則」によって縛られて生きていた私たちであった。それは、自分に何かしらの「誇り」がないと生きていくのが恥ずかしいと思える世界であった。だから、人に対して何か誇れるものがないかと必死にもがいて探し求め、追い求めて疲れ果て、力尽きていく者が現れ、そして今もなんと多くいることか。そうかと思うと、ほんの一握りの者たちは、自分の手で掴んだと思っている名誉と誇りに、必死になってしがみついて、やはりそれに縛られて生きているのである。

 主イエスのもたらされた「信仰の法則」は、私たちからその「誇り」を「取り除」いた。私たちが必死に追い求め、しがみつき、縛られて生きていたこの「誇り」から、私たちを解放して下さったのである。だから、私たちには、今、何の誇りもない。名誉もない、栄誉もない。ただあるのは、「キリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされ」た(24節)という《恵みの事実》だけである。

 しかし、誇りは失ったのではなく、新しく見出したのである。だから、「誇る者は主を誇れ」(Ⅰコリント1.31)と言われるのである。この誇りに、今日も歩んで行きたい。

 明日の礼拝から、また会堂での礼拝が再開される。再び、教会員一人一人が会堂に集まって礼拝をささげるのである。心から楽しみである。

祈りに覚える人 T・H兄

祈りに覚える教会 宮崎教会(宮崎県宮崎市 竹前篤牧師 http://m-church.com/

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