top of page

今日の朝祷会(2020年5月1日)

聖書 テサロニケの信徒への手紙一4.1-12

「さて、兄弟たち、主イエスに結ばれた者としてわたしたちは更に願い、また勧めます。あなたがたは、神に喜ばれるためにどのように歩むべきかを、わたしたちから学びました。そして、現にそのように歩んでいますが、どうか、その歩みを今後も更に続けてください。」(4.1)


 ここには、信仰生活についての具体的な奨めが語られている。それは、「主イエスに結ばれた者として」の歩みである、とパウロは語っている。つまり、主イエスに結ばれる前と、結ばれた後との生活は、自ずと違ったものとなる、そのような生活を送りなさい、とパウロは語っているのである。

 では、主イエスに結ばれた者としての歩みとは、どのようなものなのだろうか。パウロはそれを端的にこう語る。「神に喜ばれるため」(4.1)の歩みであると。これに尽きると。

 人は、主イエスに出会う前は、自分が喜ぶこと、自分がしたいと思うことを一番に考えて行動するものである。つまり、「情欲におぼれて」(4.5)生きてしまうものなのである。それは、独りよがりで、自分勝手な生き方となってしまう。「兄弟を踏みつけたり、欺いたり」(4.6)するようになってしまうのである。それは、決して幸せな生き方とは言えない。なぜなら、結局は、独りぼっちになってしまうからである。

 しかも、それは「汚れた生き方」(4.7)なので、まともに顔を上げて、誇らしく生きることができないのである。後ろめたさを抱えたままに生きることになるのである。

 だが、「神に喜ばれる」歩みはそうではない。それは「兄弟愛」(4.9)をもたらし、「落ち着いた生活をし、自分の仕事に励み、自分の手で働」き、「外部の人々に対して品位をもって歩み、だれにも迷惑をかけない」(4.11,12)生活なのだ、とパウロは語っている。それは、神の御前でも、人々の前でも、誇らしげに、晴れやかに生きることのできる生活である。

 今日の一日の歩みが、そのようなものでありたいと心から願う。


祈りに覚える人 T・N姉

祈りに覚える教会 佐世保教会(深澤奨牧師)

閲覧数:10回0件のコメント

最新記事

すべて表示

幸せ

「いつも喜んでいなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」 ‭‭テサロニケの信徒への手紙一‬ ‭5:16, 18‬ ‭新共同訳 久しぶりに私高原教会の信徒彩が更新いたします。 幸せなことまたは辛いことどちらにおいてもやはりクリスチャンである私たちは神様に、イエス様に祈ります。 そしてどんな状況でも愛されています。 それが自分自

今日の朝祷会(2020年9月5日)

聖書 ルカによる福音書12.6-7 「五羽の雀が二アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、神がお忘れになるようなことはない。それどころか、あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。」 当時、雀は2羽で1アサリオンの値で売られていたそうである(マタイ10.29)。そうだとすると、本来は4羽で2アサリオンのはずだが

記事: Blog2_Post
bottom of page