聖書 ローマの信徒への手紙8.18-30
「つまり、被造物も、いつか滅びへの隷属から解放されて、神の子供たちの栄光に輝く自由にあずかれるからです。」(21節)
私たちがとりなしの祈りを献げるとき、どの範囲までを視野に入れて祈っているだろうか。自分の家族、親族、教会の兄弟姉妹たち、友人、職場の仲間たちのために祈ることはあるだろう。さらに、沖縄の県民たちのために、ひいては日本の国民たちために、そして世界の人々のために、とその視野をどんどん広げて祈ることが許されている。
しかし、私たちがとりなしの祈りをするといえば、せいぜいこれくらいの範囲までなのではないか。今日の聖書が語っているのは、さらに広い範囲まで、私たちの視野を広げてくれる御言葉なのである。「つまり、被造物も、いつか滅びへの隷属から解放されて、神の子供たちの栄光に輝く自由にあずかれるからです」(21節)。パウロは神が造られたこの世界の隅々にまで目を注いで、神の祝福がそこにまで及ぶ、ということを語っているのである。わたしの個人的なことを言えば、例えば数年前から牧師館に来て居着いている猫(マメ)のことをも祈りに覚えることが許されているのである。このマメも、いつかは滅びの隷属から解放されて、神の子たちの栄光に輝く自由に与れるのだ、と思うと胸がときめいてくるのである。
今日も、主が注いでくださる恵みの眼差しの中で、執り成しの祈りに生きていきたい。
祈りに覚える人 N・I姉
祈りに覚える教会 高鍋教会(宮崎県児湯郡北高鍋 松井初牧師 http://qsyu.tank.jp/miyazakichiku/takanabe.htm
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