聖書 ルカによる福音書8 .50
「イエスは、これを聞いて会堂長に言われた。『恐れることはない。ただ信じなさい。そうすれば、娘は救われる。』 」
会堂長の娘は、すでに死んでしまった。もう手遅れである。娘は、自分の手の届かないところへ逝ってしまった。そして、もう二度と戻ってこない。娘の父だけでなく、誰もがそう思ったことだろう。主イエスを除いては。
主はご存知であった。娘が「眠っている」(52節)ということを。もちろん、実際に死んだのである。けれども、イエスさまにしてみたら、それは再び目を覚ます(復活する)までの眠りにすぎなかったのである。なぜなら、主イエスにおいては、死は滅びではなく、新しい命への入り口だからである。
しかし、このことを信じられない者にとっては、物笑いの種でしかない。実際、そのようにお語りになった主イエスを見て、そこにいた人々は「あざ笑った」(53節)。不信仰によって遮られた目は、なんと暗く、無知なものであろうか。その罪の目を持つ我々人間に、主イエスは、「恐れることはない。ただ信じなさい」といわれるのである。恐れは、不信仰から来るものである。しかし、これを取り除いたとき、そこに見えてくる世界は、それまでとは全く違ったものとなるのである。
主イエスは、実際にこの娘を起き上がらせ、お父さんであるこの会堂長にお返しになった。この出来事は、やがて我々に訪れる復活の喜びを思い描かせてくれる。信仰の眼差しで見るならば、どんなに取り返しのつかない絶望的な現実も、決して動かされない希望へと変えられるのである。
祈りに覚える人 K・N姉
今日のお誕生日 H・T姉
祈りに覚える教会 宍喰教会 徳島県海部郡海陽町 北村誠牧師
海南伝道所 徳島県海部郡海陽町 北村誠牧師(兼)
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