聖書 ルカによる福音書10 .42
「しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」
先日の主日礼拝の説教の中で引用した御言葉が今日のみ言葉として与えられた。感謝である。この主イエスの御言葉は、特に忙しく働き、生活している現代の私たちが聴くべき御言葉ではないかとあらためて思わされる。いろいろなことに忙殺され、振り回されて、何が自分にとって一番大事で、何が最も必要なことなのかを、私たちは見失いがちだからである。必要なことはただ一つ。イエスさまのおそばにいて、イエスさまの御言葉を聴くということ。もっと簡単に言えば、一番大事で、必要なのは、イエスさまご自身。それだけ。それでもう、私たちに必要なものは全部が満たされているからである。このように考えると、あれも、これも、と振り回されて、自分自身を見失うことはなくなるのではないか。そう思う。
ただ、それでももし、やるべきこと、果たすべき務めが多すぎて、結局やっぱり自分を見失って、疲れ切ってしまった、ということになるかもしれない。しかし、たとえそうなったとしても、そこでイエスさまを思い起こすことが出来るならば、それで大丈夫なのである。なぜなら、私たちが自分を見失ったとしても、この方は、私たちを見失うことも、見捨てることも、決してないからである。この方に寄りすがったらいいのである。
マルタは、直接イエスさまに文句を言いに行ったのであるが、このことは、悪いことなのではなく、むしろ彼女にとってよかったのだと思う。そのような形であったとしても、彼女は主に立ち帰ることができたのだから。私たちの祈りも、そのようなものなのかもしれない。腹が立ったとき、イエスさまに文句を言う。これはこれで、イエスに用いられるのだと思う。
祈りに覚える人 S・H姉
祈りに覚える教会 須崎教会 高知県須崎市 秦貴詞牧師
(https://uccjshikoku.wixsite.com/shikokukyouku/susaki)
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