聖書 ルカによる福音書11.28
「しかし、イエスは言われた。『むしろ、幸いなのは神の言葉を聞き、それを守る人である。』」
「むしろ、幸いなのは・・・」。主イエスのお言葉である。私たちが思っている「幸い」と、主イエスが私たちに望んでおられる「幸い」には違いがある、ということだ。私たちは、悪いことをもたらす「汚れた霊」が自分の中から追いだされることを幸いだと思っている。さらに、主イエスのような人々から尊敬される息子を持つ母親は幸いだと思っているのである。無病息災、子宝祈願は万人の願いかもしれない。しかし、もしそれらの願いが満たされて満足しているだけなら、もっと悪い霊が住み着いて、前の状態よりももっと悪くなると主イエスは警告しておられるのである。私たちの本当の幸いは、それで終わるものではない、ということなのだ。
そこで、主イエスは言われた。「むしろ、幸いなのは神の言葉を聞き、それを守る人である」。つまり、汚れた霊が去った後に、主なる神(聖霊)ご自身を自分の主として受け入れ、神の言葉で満たしていただくことこそが、私たちにとっての本当の幸いなのだ、と言われるのだ。なぜなら、主なる神は、私たちに必ず「幸い」をもたらして下さる方だからである。たとえ病気や思いがけない試錬が訪れたとしても、それは私たちにとって必ず益となる。「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています」(ローマ8.28)と書いてあるからだ。このような信仰に生きることこそ、主イエスが望んでおられる真の幸いなのだ。
「むしろ、幸いなのは神の言葉を聞き、それを守る人である」。アーメン。
祈りに覚える人 T・H兄
祈りに覚える教会 香美教会 高知県香南市 野村義和牧師
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