聖書 ローマの信徒への手紙2.1-16
「だから、すべて人を裁く者よ、弁解の余地はない。あなたは、他人を裁きながら、実は自分自身を罪に定めている。あなたも人を裁いて、同じことをしているからです。」(1節)
ローマの信徒への手紙は、こんにちのキリスト教会が伝えている「福音」の土台となった。この手紙を下敷きにして、例えば、『ハイデルベルク信仰問答』のような信仰告白の言葉が生まれたのだ。
その福音の何たるかを伝えているこの手紙の言葉の最初は、私たち人間の「罪」について書かれてある。神さまを知りながら、その神さまに従って歩まなかった人間の罪である。イエス・キリストの福音を知るためには、まず何よりも自分自身の罪についてわきまえておかなければならない、ということである。思えば、聖書の最初の創世記においても、人間の罪が語られていた。自分の罪を知る、ということがいかに大切なことかがわかる。
ところが、実際の私たちは、自分の罪は棚に上げるくせに、人の罪に対しては赦すことができず、相手を裁いたり、非難したりするのである。このようなことをする人間に対して神さまは正しくお裁きになるのだ。
だが、その裁きは、「人々の隠れた事柄をキリスト・イエスを通して裁かれる日」(16節)、つまり、終わりの日に現されるのであるが、それまでは、主なる神は、すべての者を「悔い改めに導く」(4節)ために「豊かな慈愛と寛容と忍耐」(4節)をもって待っていてくださる、とパウロは語っている。
そうであれば、主によって罪を赦していただいている私たちは、なおさら人の罪に対して愛と寛容と忍耐をもって赦すことが求められているはずなのである。
祈りに覚える人 S・H姉
今日のお誕生日 A・I兄
祈りに覚える教会 佐賀関教会(大分県大分市 田栗宏牧師 http://ch.febcjp.com/2016/11/29/resp161129_05/)
Comments