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今日の朝祷会(2020年5月26日(火))

  • 執筆者の写真: 牧師
    牧師
  • 2020年5月26日
  • 読了時間: 2分

聖書 ローマの信徒への手紙7.1-12

「ところで、兄弟たち、あなたがたも、キリストの体に結ばれて、律法に対しては死んだ者となっています。それは、あなたがたが、他の方、つまり、死者の中から復活させられた方のものとなり、こうして、わたしたちが神に対して実を結ぶようになるためなのです。」(4節)

 すでに、第6章では「主人と奴隷」という比喩を用いて律法と私たち人間の関係について記したパウロは、この第7章では、「夫と妻」という結婚の比喩を用いて、この関係をなぞらえている。夫の生存中、妻が他の男と浮気をしたら、それは姦通の罪になるが、夫が死んだのなら、もうその夫から自由になっているので、それは罪にはならない(3節)、となかなか生々しい譬えを持ち出して、私たちと律法との関係を語るのである。パウロはそこまでして、私たちがすでに律法とは縁が切れていること、すでに自由にされていることを伝えようとしたのであろう。それほどに律法とは「腐れ縁」のように結びついてしまっていた、当時の教会の悩ましい事情がここに反映されているのだと思う。

 だが、さらに大事なことは、律法という夫と別れて自由になったことよりも、今はだれの妻となって、この夫を主人として仕えているのか、ということである。それを語っているのが4節である。「兄弟たち、あなたがたも、キリストの体に結ばれて、律法に対しては死んだ者となっています。それは、死者の中から復活させられた方のものとなり、こうして、わたしたちが神に対して実を結ぶようになるためなのです」。

 クリスチャンのことを「キリスト者」と呼ぶことがある。これは、キリスト信者、という意味をもつだけでなく、むしろより多くは、「キリストのものとされた者」、「キリストに属する者」という意味が強い言葉なのである。わたしは、自分自身のものではなく、キリストのものです。このように告白するのが、キリスト者なのである。そして、罪と律法から自由にされたのだから、新しい主人であるイエス・キリストに喜ばれるように、この方に仕えて生きていく、これが、新しくされたキリスト者の歩みなのだ、とパウロは語っているのである。

 今日の一日も、御霊と御言葉に導かれて、キリストのものにふさわしく歩んで参りたい。

祈りに覚える人 K・T兄

祈りに覚える教会 小林教会(宮崎県小林市 山口英希牧師(代務者)http://qsyu.tank.jp/miyazakichiku/kobayashi.htm )

 
 
 

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