聖書 ルカによる福音書9 .26
「イエスはお答えになった。『なんと信仰のない、よこしまな時代なのか。いつまでわたしは、あなたがたと共にいて、あなたがたに我慢しなければならないのか。あなたの子供をここに連れて来なさい。』」
主イエスが山から戻って来られた時であった。そこには、悪霊に取り憑かれた男の子とその父親がいて、その周りに主イエスの弟子たちと、大勢の群衆がいた。彼らは待ちわびたように、主イエスをお迎えした。主イエスが山に登っておられる間、その子の父親が弟子たちに癒しを求めたが、彼らにはどうすることも出来ず、困っていたところであったからである。
そこへ、主イエスがお戻りになったので、この父親は改めて主イエスに息子の癒しを願ったわけであるが、その時、主がお答えになったのが、上記の御言葉である。これは、癒すことの出来なかった弟子たちに対する、厳しいお言葉である。珍しく、少し苛立っておられるようにも見受けられるお言葉である。それは、おそらく、もうあまり時間がない、ということをご存知だったからであろう。ここに来る前に、あの山の上で、エリヤとモーセが現れて、「エルサレムで遂げようとしておられる最期について」(9.31)話し合っていた、と書かれてある。いよいよその時が近づいていたのである。そのため、主イエスは、ご自分が復活して天に昇っていかれた後のことを考えて、弟子たちの訓練をしなければならなかったのである。それは、主イエスがいないとできない、ではなく、主イエスが共におられるので大丈夫だ、と信じる信仰を養う、ということであった。このとき、弟子たちにはまだその信仰がなかった。だから、「なんと信仰のない、よこしまな時代なのか」と言われているのである。
今の時代も、やはり同じではないだろうか。主イエスは、み姿は目には見えないが、聖霊によって我々といつも共にいて下さる。だから、我々の病も、あらゆる心配事も、主が解決へと必ず導いて下さる、という強い確信をもって祈ることが大事であろう。そうすれば、必ず癒されるのである。また、たとえそれでも癒されなかったとしても、祈った結果であるならば、そのことが主の御心だったのであり、それこそが最善だったのだと確信することが出来るからである。
祈りに覚える人 F・N姉
祈りに覚える教会 高知東教会 高知県高知市 野口幸生牧師
高知中央教会 高知県高知市 益敏牧師
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