聖書 ルカによる福音書10 .29
「しかし、彼は自分を正当化しようとして、『では、わたしの隣人とはだれですか」と言った。』」
「正しい答えだ」(28節)と主イエスから言っていただいたのに、なぜこの律法の専門家は「自分を正当化」しなければならなかったのか、ということが長い間疑問だった時期があった。しかし、牧師になって、ここを読み解くようになって、ようやくわかってきた。この人は、今自分の口で言ったことを、実際には行っていないということに、すでに気が付いていたのである。だから、「それを実行しなさい」(28節)と主イエスから言われたときに、実行していないことを見すかされたと思って、「自分を正当化」しなければならなかったのである。
このような自己正当化を、我々もしょっちゅうしているのではないか。人から間違いを指摘されると、素直にその間違いを認めるよりも、何かうまい言い訳がないかと探して、自分のした間違いを正当化しようとするのではないか。私自身も、「そういうところをなおした方がいい」、としょっちゅう子どもたちから言われる。その通りである。
このような自己正当化の罪こそ、我々が最も陥りやすい、しかも、自分ではなかなか気が付きにくい罪なのではあるが、驚くべきことに、主イエスはそれを人間の救いのために益に変えてしまわれたのである。というのも、この律法の専門家の「自己正当化」によって語られた「では、わたしの隣人とはだれですか」という問いに対して、あの「隣人となったサマリア人」の譬え話をなさったからである。
この譬え話は、たとえば今年の一月に吉崎恵子姉(日本FEBCパーソナリティ)を説教者にお迎えしたときにも印象深く聴いた御言葉である。実に多くの方々が、この主イエスの譬え話に感銘を受けてきたことだと思う。それが人間の最も身近な罪である自己正当化から生まれてきた御言葉であり、しかも、その正当化の罪を犯す者を、これまで何人も悔い改めへと導いてこられたのだろうと思うと、主イエスというお方は、本当に偉いお方なのだと、あらためて痛感させられるのである。
祈りに覚える人 S・H姉
祈りに覚える教会 南国教会 高知県南国市 岡本康夫牧師
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土佐福音教会 高知県土佐市 田島和徳牧師
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