top of page

今日の朝祷会(2020年8月26日)

  • 執筆者の写真: 牧師
    牧師
  • 2020年8月26日
  • 読了時間: 2分

聖書 ルカによる福音書10 .29

「しかし、彼は自分を正当化しようとして、『では、わたしの隣人とはだれですか」と言った。』」

 「正しい答えだ」(28節)と主イエスから言っていただいたのに、なぜこの律法の専門家は「自分を正当化」しなければならなかったのか、ということが長い間疑問だった時期があった。しかし、牧師になって、ここを読み解くようになって、ようやくわかってきた。この人は、今自分の口で言ったことを、実際には行っていないということに、すでに気が付いていたのである。だから、「それを実行しなさい」(28節)と主イエスから言われたときに、実行していないことを見すかされたと思って、「自分を正当化」しなければならなかったのである。

 このような自己正当化を、我々もしょっちゅうしているのではないか。人から間違いを指摘されると、素直にその間違いを認めるよりも、何かうまい言い訳がないかと探して、自分のした間違いを正当化しようとするのではないか。私自身も、「そういうところをなおした方がいい」、としょっちゅう子どもたちから言われる。その通りである。

 このような自己正当化の罪こそ、我々が最も陥りやすい、しかも、自分ではなかなか気が付きにくい罪なのではあるが、驚くべきことに、主イエスはそれを人間の救いのために益に変えてしまわれたのである。というのも、この律法の専門家の「自己正当化」によって語られた「では、わたしの隣人とはだれですか」という問いに対して、あの「隣人となったサマリア人」の譬え話をなさったからである。

 この譬え話は、たとえば今年の一月に吉崎恵子姉(日本FEBCパーソナリティ)を説教者にお迎えしたときにも印象深く聴いた御言葉である。実に多くの方々が、この主イエスの譬え話に感銘を受けてきたことだと思う。それが人間の最も身近な罪である自己正当化から生まれてきた御言葉であり、しかも、その正当化の罪を犯す者を、これまで何人も悔い改めへと導いてこられたのだろうと思うと、主イエスというお方は、本当に偉いお方なのだと、あらためて痛感させられるのである。

祈りに覚える人 S・H姉

祈りに覚える教会 南国教会 高知県南国市 岡本康夫牧師

(https://uccjshikoku.wixsite.com/shikokukyouku/nannkoku)

土佐福音教会 高知県土佐市 田島和徳牧師

(https://uccjshikoku.wixsite.com/shikokukyouku/tosahukuin)

 
 
 

最新記事

すべて表示
私の原点

こんにちは 私がココ最近で気づい事を共有、分かち合いたいと思います。 私が教会に行き聖書を学んで奉仕をして、 どれもこれも恵の分かち合いたい気持ちから 起きたことだと改めて気付かされました。 たくさんたくさんやるべき事として これやらなきゃ、あれやらなきゃ 目まぐるしくおこるあれこれ。 でも神様の恵は豊かで尊いものだと 気付かされて共有分かち合いたいと 思う思いから全ては奉仕として形になってたなと

 
 
 
家庭において聖書への向き合い方

こんにちは 久しぶりにブログを更新します。 今回のブログテーマは家庭において聖書への向き合い方についてです。 それぞれの家庭の環境に応じて色々な事があると思いますので私の取り組みや感じた事を記載させて頂きます。 私は最近から聖書ジャーナリングと称して、 聖書を家庭でも読む取り組みを始めました。 聖書の箇所は、私が使っている聖書アプリの 今日の聖書箇所を参考にしているので 毎日違います🥰 その日の

 
 
 
夏の献身修養会

西日本教会青年同盟主催 夏の献身修養会に参加してきました😊 8月19日から21日の日程でした。 献身とは神様を信じて委ねることもひとつの献身者の印であると聞いた時は驚きと発見でした。 献身といったら牧師になることだけのイメージしかなくて、どこか他人事のように感じてました。...

 
 
 

コメント


記事: Blog2_Post
bottom of page