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今日の朝祷会(2020年8月29日)

  • 執筆者の写真: 牧師
    牧師
  • 2020年8月29日
  • 読了時間: 2分

聖書 ルカによる福音書11.9-10

「そこで、わたしは言っておく。求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。」

 「求めよ。さらば与えられん」(文語訳)という主のみ言葉は、教会以外の多くの人にも知られるようになった聖書の御言葉の一つであると思う。しかし、このみ言葉の前に、主イエスが「主の祈り」を弟子たちにお教えになった、という事実を知っている人はそれほど多くはないであろう。今朝、ここを読んで、あらためてこの二つの御言葉がひとつづきの御言葉であることの重要性に気づかされた。「求めなさい」と言われるのは、何よりも「主の祈り」で祈られていることを「求めなさい」とおっしゃっているのである。そして、その第一に来ているのは、神の御名が崇められること、御国が来ることである。それは、神ご自身が、この世の権力者のように、「わたしを敬え、わたしを崇めよ」と自分の名誉を人間に求めておられるということではない。そうではなく、すべての人間が神に立ち帰り、神を崇めるとき、神のご支配(御国)が完成して、真の平和がそこに実現されるからである。そして、すべての者が、神の祝福を受け、神の子としての幸いを得ることができる。このことをこそ、神は願っておられるのであり、そして、我々もまた、このことをこそ求めるべきなのである。

 ところが、我々は、本来、我々が求めるべき祈りが何であるかを忘れて、ひたすら自分のことばかりを願っているのではないか。もちろん、そんな我がままな祈りをも、主は喜んで受け入れてくださって、しかも、それを益に変えて下さるに違いない。しかし、我々にはすでに「主の祈り」が主から教えられている、ということを忘れてはならないのである。聖霊に支えられて、この祈りが必ず実現することを確信しつつ、祈り続けるとき、我々のうちに、神のみ業が確実に起こりはじめるのである。

 この国にも、主のご支配がならんことを!

祈りに覚える人 H・H姉

祈りに覚える教会 宿毛栄光教会 高知県宿毛市 北野慎吾牧師

高知中村教会 高知県四万十市 内藤達也牧師

中村栄光教会 高知県四万十市 内藤達也牧師(兼)

 
 
 

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