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  • 執筆者の写真牧師

今日の朝祷会(2020年9月2日)

聖書 ルカによる福音書11.29

「群衆の数がますます増えてきたので、イエスは話し始められた。『今の時代の者たちはよこしまだ。しるしを欲しがるが、ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない。』」

 「ヨナのしるし」とは何だろうか。ヨナといえば、すぐに思い出すのが大魚に呑みこまれたことだ。彼は主に逆らい、主のご命令から逃げるようにしてタルシシュ行きの船に乗り込んだ。そのヨナを、主なる神は大魚に命じて呑み込ませられたのである。それは、彼の「死」を意味する。けれども彼は、その魚の腹の中で三日三晩閉じ込められている中で、真の悔い改めをなして、主に立ち帰った。そこで、彼はそこから奇跡的に生還して、ニネベへと遣わされたのだ。これは、主イエスの復活を予示している出来事であり、これこそが「しるし」なのである。

 妻にときどき聞かれることがある。どうしてイエスさまの時代、使徒の時代には、病人が癒されたり、悪霊が追いだされたりする奇跡が起こされたのに、今の時代にはそういうことは起こらないの?、と。このような疑問は、多くの人々の思いの中にあるのではないかと思う。確かに、そのような奇跡が、キリスト者たちによって次々と起こされたならば、それが主を証しするものとなるであろう。

 しかし、肝心なのは、ニネベの人々が「悔い改めた」ことである。もしも多くの奇跡がなされても、人々がそれを見て悔い改めなければ、そのしるしには何の意味もないのである。だから、そのために必要な「しるし」は、「ヨナのしるし」だけなのだ、と主は言われるのである。

 ところが、実は我々には、「ヨナにまさる」しるしが与えられている。すなわち、イエス・キリストの十字架と復活である。我々の罪のために、我々の身代わりとなって十字架の刑罰を受け、死んでくださり、我々の救いのために、死者の中から復活して下さった御子イエス・キリストを仰ぎ見るとき、我々はそこではじめて自分の罪を悔い改め、神に立ち帰ることが出来るのである。

 昨日、去年のクリスマスに洗礼を受けられた一人の兄弟が主の御許に召された。81歳であった。この兄弟が、悔い改めてイエス・キリストに立ち帰ることが出来たことこそが、本当の奇跡である。今、地上の生涯を全うし、主の御許へと召され、平安のうちに眠っていることを思うと、本当によかった、と心から思わされるのである。

祈りに覚える人 M・M姉

誕生者を迎える人 M・I兄(9月3日)

祈りに覚える教会 芸西伝道所 高知県安芸郡芸西村 竹内克哉牧師

土佐嶺北教会 高知県長岡郡本山町 徳安早人牧師

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